IT社員の公私混同2

ゲーム開発者が、映画、ドラマ、アニメと言った趣味について書くブログです。

【感想】機動戦士ガンダムSEED FREEDOM ※ネタバレあり

すごくすごくよかった。

20年の間、見たいと思い続けた全てを見せてくれた。

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見たかったもの、例えば世界のためでだけではなく、自分のために戦うキラとラスク。シリーズを通してキラは他人のために身を粉にして戦う姿が印象的であった。ラスクも背負うものが大きすぎて、自分の気持ちは二の次で、優等生コメントしかしないでつまんねー女だと思っていた。
だが、本作はどうだ。世界を救う云々の前に、キラはラスクが自分にとってどれほどに必要かをはっきり言葉にして訴えたて、ラクスを助けるためにフリーダムに乗り込んだキラが自分にとっていかに大切なのかファンデーションの間男に説くだけに留まらず、ケシカランパイロットスーツを来て自らキラの元に赴き、同じ空間でともに戦うではないか。その姿は、おもしれー女 言わざるを得ない。嫌がらせに、庶民的な揚げ物を大量につくる姿もそうだ。人間·ラクスクラインがそこにはあった。

 

例えば、互いを信じ思い合いながらも、世界のために戦うアスランカガリ
種運命だと離れ離れになり、コミュニケーションが死にまくってる印象しかなかったが、アスランの対アコード戦の秘策をみれば彼らがきちっと作戦を練っていたことは自明だ。また、カガリの例の表情を見れば、二人の仲の良さも伝わってくる。
一方で、カガリ国家元首として、アスランはエージェントとして高いレベルの仕事をしていた(カガリを無能扱いしてたネット民、見たか!カガリはできる子やったやろがい!! 大国と駆け引きをし、時にはブラフもかます。オーブの理想を追求しつつもシンの様な国民の犠牲を出さないように避難指示を出す姿は名君のそれだ)。自らの責務を果たしながらも、アスランの中にはカガリが、カガリの中にはアスランが確かにいる。

 

例えば、健やかに生き、主人公的な振る舞いをするシン。種運命ではアスランからわけのわからん説教されたり、最愛の人を失い、デュランダルの陰謀に巻き込まれ精神がまともじゃなくなっていた姿は見ていられなかった。ところが今作ではキラのもとで健やかに業務をこなしているし、バクバク食べるし、ルナマリア・ホークとはラノベ主人公とヒロインと様な関係が築けている。ステラのことをわかった上でシンのそばに寄り添う続ける彼女の様な人が、彼のそばにいてくれることを確認できたのはこの上ない喜びであった。また、今作をみることで、あれな上司とはいえ無駄にアスランにつっかかっいた姿にも腑に落ちた。いい意味でアホだからああだったのだと気づけたため、彼に対してより肯定的に見ることができた。

そして何より、迷いを振り切り、ただ目の前の敵にまっすぐに立ち向かうという完全なる主人公のムーブをやり切ったことが何よりうれしい。種運命にて、主人公なのにまったく主人公できなかったことに、歯がゆい思いをしたがそれを完全に払拭してくれた。

 

他にも亡き仲間を思い彼らと手にした平和を守るディアッカイザーク、大胆な指揮で敵艦を砕くマリュー・ラミアス、ビームを跳ね返すノルマを果たすフラガ、などなど、それぞれの登場人物の見たい姿があった。

 

たが、私がこの作品で一番見れてよかったものは、「ディスティニープラン」という物語の終わりだ。
種運命ではディスティニープランが、(理屈ではダメさがわかっていても)シンが体験してきた悲劇を思えば甘美な響きであり、それなりに魅力が感じられるものだった。ラクスやキラがそれについて否定的に語ったとしても中々うなずけない。
そもそもディスティニープランがぶち上がるのか終盤も終盤であり、作中で語られる場面が少なく議論が不完全であった。
しかし本作は、序盤にてキラがデュランダルの言葉に向き合う姿を描写するなど、ディスティニーにプランを主題に話が組み立てられている。そして、ディスティニープランを採用したファンデーションを悪役にし、かの思想のダメさ(国内に反乱分子を抱える、思想に反対する他国地域を包摂しない)を浮き彫りにした。何より、ラクス、キラ、アスラン、シン、カガリなどなど、種、種運命を生き抜いた彼らがそれを明確に拒否した。彼らは不完全ながらもより良い方向へと少しづつ進む世界を守った。そして、自らの愛する者たちを引き裂くようなその思想を完全に打ち壊した。しかも、種運命と異なり、視聴者にも、明確に彼らがこれを拒否する理由をしっかり描いている。それはオタクがしばしば嫌う恋愛要素である。これが邪魔だという批判が一部にあったが、それは的外れだ。それこそが、ディスティニープランのオワコンぶりを語るのに不可欠な要素であり、本作の本質だ。彼らがファンデーション、ディスティニープランにたちむかうのに必要な理由が正にそこにある。人間の価値を社会に必要か否かで決められ共にいる人間までをも決める社会の前では、キラやラスクはもちろん、アスランカガリ、シンとルナマリアマリューとフラガは共にいれないかもしれない。
彼らの絆を思えば思えば、見る側もディスティニープランなど単なる「本当に使えない」思想であると心の底から思える。この絆を打ち壊すものを肯定しようもない。
キラたち、そして我々視聴者は二十年の時を超えやっと、この思想を否定できた。やっと物語の終わりと、彼らの新しい人生の始まりを見れた。私はそのことがとてもうれしい。

本作は、私にとってガンダムSEEDシリーズを21世紀のベスト・ガンダムにする素晴らしい作品になった。